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乾徳寺(武茂城趾)

 乾徳寺ホームページ

武茂地方は、平安時代の終わりごろ宇都宮氏の領地となり、鎌倉時代末期から戦国末期まで宇都宮支族の武茂・松野氏などが統治していました。

 武茂城は、菩堤所である乾徳寺を中心に寺を囲むように東西の山に位置しています。西は馬頭小学校西側の応神沢を境とし、東は中央保育所の裏山を境にして、面積は4haに及びます。現状が山林のため、遺構は良好に残され、中世山城の原形をよく留めています。

 武茂城は宇都宮氏分流の武茂氏の祖・泰宗(やすむね:宇都宮景綱の3男)が正応・永仁年間(1288〜1298)に築城したと伝えられていますが、遺構の形態から推定してもっと時代が下ると考えられます。中世の城館は、平常時の住居としての居館と戦闘用の防塁として設けられた城・砦に分けられ、武茂城は山城です。乾徳寺山門は、武茂城大手門を移築したものと伝えられ、室町時代の建築様式をよく留め、武茂氏の家紋(三巴紋)が残っています。